資本主義は何故マミーを引き起こすか
マミー情報ネット
おはようございます、滝野です。
昨日の明け方、すんなり眠れなかったので
考え事をしたり、ネットを見たりしていました。
そして、ふと、私ブログを書いてきているけど
自分の内面、気付きとか感じた事を
どれだけ発信してきたかな?って思いました。
ブログを始めてもうすぐ丸2年。
初めはスタイリストを意識していたし
役立ちそうな内容、私ってこんな人、みたいなことは
書いてきたけれど
深い所は、あまり出していないかもなって。
*
そんなところで、今朝こちらの記事と出会いました。
●
「自分のことを汚いと思っている人
対人恐怖を持っている人には読んで欲しいな。」と書かれています。
私は、どんぴしゃ同じではないけれど
この記事を読んで、自分の中の絶望を思い出して
しばらく涙が出ました。
人には、光も影もあって、
影も闇も私の一部だから。
その時の気持ち、また思い出して、泣けて、良かったなって思いました。
だから、まみりんさんにはありがとうって思う。
*
絶望体験、元々記憶にはあったのだけど
その時の世界観を味わうというのは、3回目くらいかな。
小学校4年生のときに
大きな夫婦ゲンカがありました。
そこで、両親が、もみあいになった結果
物の角にあたって、マミーが額から流血。
額がぱくっと6センチくらい切れて、
私は泣きながらマミーのおでこに絆創膏を貼りました。
マミーも泣いていた。
*
その大きなケンカは、休日に起きた。
うちは、嫁姑の相性が悪くて、
そういうのもあって母がイライラしていることは多かった。
その前から、両親がちょっとケンカになったり
なりそうだったり、言い合いしてるような感じで
私の中で、危機感が高まっていた。
大きなケンカが起きないように、
それを回避しようとして
私は、母をなだめていたり
私なりに頑張ってたんだけど
ある朝、ついに声を荒げた音が聞こえてきた。
それで目が覚めた。
その日は、もう止められなかった。
怖かったし、私、何もできなかった気がする。
*
それで、結果、母がケガをすることになって。
私は、母を守れなかった。
いくら頑張っても、ダメだった。
それを突き付けられるような出来事だったんだ。
誰かに助けて欲しかった。
*
そこから、学校に行っても、上の空だった。
世界が色褪せたみたいだった。
空虚で、私は無力で、何もできなくて、
守りたい人も守れない。
学校とか授業とか、もう全部、バカバカしい。
いくら頑張っても、ダメだった。
どうせ私が何をしても無駄なんだ。
そんな思いを握ったかもしれない。
こんな世界に生きていたくない
なくなっちゃえばいいのに。
*
初めて、この時の気持ちまで蘇ったのは3,4年前。
思い出した時は、1日半くらい思い出しては泣いた。
悲しかったり、怖かったり、無力感、絶望感、空虚
いろいろな物が混じってて、すごい泣いた。
それを味わうのが何度目かの今、
前よりも消化されてきている感じ。
こんな風に書こうと思うようにもなったからね。
*
マスターコースが始まって、いろいろな事が流れこんできて
出来事が起きて、という日々です。
受け入れて、自分の中のことも出して流していこう。
辛いとか、怖い、とかしんどい思いするのとか
もういいじゃないか。終わりにしてこ。