観劇を見たら話さなくていい。好きなふたりは、行ったり来たり。
みなさまごきげんよう、ニコライ少尉でございます。
「邪馬台国の風」、初日から各所で駄作という意見を目にしました。観劇前夜にお会いしたおふたりの雰囲気からも、期待していいものじゃない、ということはひしひしと伝わってきました。
なんか逆に楽しみだわwww
みたいな気分で見たからかもしれませんが、観劇後のわたくしは、初夏の朝のような、爽やかな気分で、改めて自分の感想を述べたいと思います。
納得の駄作~( ´艸`)
あはは!面白い!あはは!
すみません、笑い事じゃない花担の皆さんすみません。
この作品が大好きな人もすみません、いや、聞いて?
そもそも駄作ってなんなのでしょうか?
駄作(ださく)
出来の悪い作品。取るに足りない作品。
なるほど。
でもなぁ、出来が悪いっていうと、花組の組子に大変申し訳ない気がするんですよね。だって演者は最高のクオリティでしたから。
凡作(ぼんさく)
平凡でつまらない作品。
こっちのほうがしっくりくるかもしれませんね。
訂正いたします。
凡作~( ´艸`)
で、この作品をきっかけに、なにが良い作品で、なにが悪い作品なのか、と考えてみたのです。
今回は、「ニコライはこう思う」という主張なので、ヅカオタ代表としての意見でないことをご承知ください、あくまで、わたくし個人はこう思う、の範疇の話です。
花組で言うと、前作の「金色の砂漠」は良い作品だと思うのです。
何が良かったかというと、やっぱり第一に、ストーリーが純粋に面白い、ということだと思います。
で、話の筋が面白いってそれは人それぞれなので一概に言えませんが、わたくしが思うのは、ストーリーと登場人物に、ブレがないということなのです。
特に、登場人物の言動が一貫してブレないということは非常に大切だと思うのです。
例えば金色の砂漠だと、わたくし散々「タルちゃん好きになる要素あった?www」と言ってきましたが、「タルハーミネを好き」というギィの設定は、死ぬまでブレていないんですね。
もしくは、途中で設定が変わるような結果になったとしても、そのキャラクターが考えを変えたことが、客席にも伝わるような演出が欲しいのです。
例えば、ジャハンギール王を拒否し続けていたアムダリヤさまは、最後、彼の後を追って身を投げて亡くなりますが、これは、きちんと客席に、アムダリアさまなりの愛を持っていたんだ、とすごく伝わると思うんですよ。どこがどうとかはちょっと説明できないのですが…
とにかく、キャラクターの思考に納得したいのです。
おそらく、わたくしが作品に求めるのは、登場人物の言動に納得できるかどうか、という点なのです。
で、今回の「邪馬台国の風」ですが、一番、「これはダメだよ~」と思ったのが、ヒロインであるヒミコの思考がコロコロ変わることなんですよね。
多少ネタバレになりますが、オブラートに包んで表現しますと、初めは、「あたし神の声が聞こえるの!みんなの為にこの力を使う使命があるの!」と非常に熱く燃えているわけです。
しかし、途中で「やっぱり仕事辞めて女の幸せ掴みたいわ」とか言い出すんですよ。
ね。
ぅおおおい!!
てなりますね。
で、じゃあ一緒に逃げよう!とタケヒコに言われ、いざ!てときに
「やっぱあたし無理、使命があるもん」てなるんですね~
ぅおおおおい!!
なんなのあんた…優柔不断なの…
そしてこの駆け落ちシーンめっちゃデジャブ…
きっとナルギス先生外で待ってるで…
ここがね、ブレブレのヒミコ像でね、ひどいな、と思いました。
もしかしたら、マナも、ヒミコ(公職)とマナ(一般人)の間で気持ちが揺れる要因がほかにあったのかもしれない。いや、あったに違いない。でも、それが、突然すぎで、まったくついていけないのです。
しかも、登場シーンの美少女マナは、「神の声が聞こえる」という特殊能力に非常に誇りを持っており、自分がこの地に生まれた理由くらいの勢いで、使命感に燃えています。
そもそも、巫女こそが彼女のアイデンティティなのです。
それを揺るがすようなことが果たしてあったのか?
あったなら隠さず教えて欲しい。
わたしたちマナのこと笑わないから安心して話して欲しいの。ね!?マナのすべてが知りたいのよ!!!
(あれ?神の声が聞こえなくなったからヒミコ辞めよって思ったんでしたかね?違いますよね?
突然の「マナに戻りたい」→タケヒコくる→大事件→神の声が聞こえないの順番でしたよね?不安…)
(ていうかそもそも、ちょっと聞こえなくなったくらいで、聞こえるようになるための努力描写がないから、すごくあっさり諦めたように見えるんですよね…もっとがんばってヒミコ、あなたなら出来る!滝に打たれたり三日三晩寝ずに祈祷を捧げたりして!きっと霊能力は戻ってくるはず!)
で、次、タケヒコさんですよ。
お前もブレすぎ。
(ごめんなさい…お前なんて…)
100歩譲って、いや、
1000歩譲って、
マナを急に好きになったことは許してやる。
うん、仕方ない、これは。
今回もきっと「好きになった理由:顔が可愛いから」です。
で、あんなに好きだったマナをね、最後ね、あっさーりね、置いて海外行くよね~
何故。
え…お前の愛ってそんなもんなの…?ていうかお前の考える愛って何?え?えええ???
そんなに海外に憧れる描写あった!?
え!?どうしたん!??
望海さんなら100歩譲って分かるよ!?(偏見)
タケヒコはほんと、最後の最後で突拍子もないこと言う…
もうね、どのくらいポカンだったか、例えの表現を考えてみました。
タケヒコさんね、オシャレですよね?
あの時代の人にしてはかなりオシャレで、本当に山の中で暮らしていた人なの!?うそでしょ!?てほどいい布に素敵なアクセサリーいっぱいつけているんですよ。
特に、額につけてる、
CHAN LUUのラップブレスレットなんてめちゃくちゃオシャレですよね。
(タケヒコさんの頭のアレと思しきアクセサリー)
で、そんなオシャレなタケヒコさんが、兵士仲間と雑談中に
「いやオレ全然オシャレ興味ないんだよね~」
て言ったらどうです、みなさん?
お前キャラ!
キャラデザインの段階で矛盾してる!!!
てなりますでしょ?ポカンでしょ?
そういうことです。
(どういうこと)
ここね、
・超絶オシャレな恰好をしている
・オシャレに興味がないと言う
という矛盾する事実がありますね、
ここに
・タケヒコのアクセサリー類はお師匠様と亡き両親の形見
という設定が加わったらどうでしょうか?
そうしたらあら不思議、2つの矛盾する要素が、なんの無理もない設定になりました。
そういうのがほしかったんですよね。
マナもしかり、タケヒコもしかり、突然のキャラのブレに、きちんと納得できる理由を、わかりやすくご教示いただきたかったです。
アクセサリーの部分は創作ですけど、マナがヒミコとして生きるかマナとして生きるか揺れる理由、タケヒコが最後外国に行きたがる理由がきちんとわかれば、もう少し納得できたかもしれません。
もしかしたら、この、理由が伝わってこない、説得力がない、のは演者の力量不足だって、言うかもしれませんね、演出家の先生は。
でもこれは、絶対違うと思います。
100%脚本のせいだと思います。
演者のみなさん、ヒミコの仙名彩世さん、タケヒコの明日海りおさんの圧倒的なオーラと有無を言わさぬ存在感がなければ、本当に「金を返せ」て思うと思います。
これが、何の縁もゆかりもない、そして美男美女でもない、全然知らない演劇集団が上演していたとしたら、「クソ以外の何物でもなかったなwww」と言ってるかもしれないです。
きちんと考察しよう、とか、本当はこうだったのかな、と思えるのも、すべては花組子が愛おしいから以外に理由はないですね。
はい、ものすごく長く書いてしまいましたが、次回も続きます。
次回のテーマは
「善悪の判断とは結局主観的なもの」です。
(重てぇな)
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観劇 100人乗ってもダイジョ-ブ
みりりん(花組トップスター 明日海りおちゃん、みりおちゃん)ファンであふれていた日比谷から、一旦お家に戻って、マチネを観劇するためにまたまた日比谷に向かっています。