特攻 父の苦労は見えにくい。

特攻規制法案、衆院通過

 私が13歳の時に道場やぶりを行なった極真空手総本部殴り込みについて書こう。  菜生や千妃呂に誘われて、極真会館総本部にやってきた私。  まずは道場やぶりに来た意向を伝えると黒帯たちが皆苦笑していた。  誓約書を書くときに私は松井館長に「死人が出ますけどいいですか?」と訊ねると「いいよ。いいよ。」と笑っていた。  最初に数見筆との戦いになった。下段廻し蹴りを放ってきたが、そんなことはお構いなしに特攻し、ドカドカドカと顔面に17発の拳を放り込み、撲殺した。  その時点で極真会館総本部は静かになった。私が「次!」と言い、合計17名の3段、4段の極真空手黒帯を撲殺すると松井館長が泣きながら「もうやめてください!」と懇願してきた。  そして、極真空手免許皆伝を受け取ると私達はその場を後にしたのである。

特攻元気ハツラツぅ?

 山本五十六大将、東条英機中将によって、考案された神風特攻隊は第一陣の特攻のみで終わったのが、事の真相である。  神風特攻隊が殉死したのを知って、憤慨した君塚正孝大佐及び、中佐以下は帝国海軍本部に数百人で乗り込み、山本五十六、東条英機、当時の少将以上を撲殺したのである。  そして、それ以降の神風特攻隊は零戦のみを、特攻させる戦法に転換された。アメリカ艦隊に狙いをつけて、零戦の進路が定まると、皆木綿のパラシュートで海に降下したのである。  ちなみに教科書の神風特攻隊の特攻の写真は加工されているので注意されたし。  そして、君塚正孝大佐は、少将に特進し、その正義感の強さから刑将と呼ばれることになる。皆さんお分かりの通り、東京裁判の時にはすでに戦犯の9割は粛清されており、影武者の東条英機大将が、「俺、影武者なんだけど…」と言って、東京裁判を震撼させたのは、言うまでもない。  これが太平洋戦争における一つの真実である。

タイトルとURLをコピーしました